The White Report 月間ウェブマガジン
The White Report 2019年 2月号 毎月25日更新
–目次–
- 『あざみ野フォト・アニュアル 長島有里枝展
知らない言葉の花の名前記憶にない風景わたしの指には読めない本』 - 江間柚貴子(写真家)
- 『生きている静物画』
- 大山純平(写真家)
- 『偏愛的写真集覚書』
- 杉山雄二(写真家)
- 『reference』
- 澤田育久(写真家)
知らない言葉の花の名前記憶にない風景わたしの指には読めない本』
江間柚貴子 (写真家)
写真とテキストが一緒になっている展示構成のスタイルは最近よくみられるようになったのではないかと思う。
写真が面白い人は文章も面白いという自分なりの経験則というか、知見のようなものがあるので、そういう展示構成で発表することに関して、むしろもっとそのような作品があっても良いのではと思っていた。
それはそうと、ガールズフォトで一世を風靡した長島有里枝がいつの間にかエッセイ集をだしているとは知らなかった。知らなかったというより、ガールズフォトの人という印象が強すぎて、それ以降の活動歴を全く知らなかった。
写真とテキストの関係性は同列に並べると、どうしても相互補完的な役割を持ってしまうものであるが、今回の展示においてはその部分をそれぞれ独立させた構成になっている。
私たちは普段、文章を読むとき頭の中でそのシーンを勝手に再現させている。逆に写真をみたとき、そこからは「これは○○だ、ここに〇〇がある」という視覚情報を得る(もし一枚の写真にりんごが写っていたら、鑑賞者はそれをりんご以外のものとは判断しない。)。
<名札付きの植物>では、アルファベットの表記を読もうと試みるも、私はラテン語の表記が分かるわけでも英語が堪能なわけでもないので、それをみたところで何も理解することができないし、視覚情報としては「アルファベットの羅列、たぶん植物の名前」ということしか理解できない。それと同様に<本を感じる>シリーズでは、「点字とそれをなぞる指先」それだけしか写真から読み取ることができない。この二つのシリーズで、写真から何かを理解する、読み取るということから徹底的に突き放されてしまうのである。またある意味では、身体的不自由を擬似的に体験しているような気持ちにさせられた。
点字の文章は「背中の記憶」の一編で、ふと思い出した昔の日常の光景とかそういうものを彷彿とさせるような内容で、今回の展示構成を理解していくうちに、写真やテキストから内容を理解し読み取ることが、読み取ったと思ったものがどれだけ曖昧なことなのか考えられずにはいられなくなっていく。
事物が分からず、曖昧であることは過去の記憶だけでなく写真においても同じことが言える。木板に写真をプリントしたインスタレーションのシリーズでは、写真が写っているものの原寸大のように展示されているので、その空間にいると過去にあった現実の複製である写真を見るというよりは全身の身体感覚で長島の記憶の中を体験しているような気分になる。
本展では、ステートメントで「写真表現において自明とされている事柄を疑ってみよう」と長島が述べるように写真やテキストから何か理解するということ自体を一から考え直すように仕向けられ、理解できないということと理解したと思ったものの境界が本来曖昧なものでないかという問いを投げかけているように感じた。
プロフィール:
Profile
1990年生まれ
2015年 東京綜合写真専門学校 写真芸術第二学科 卒業
Exhibition
2016 金村修ワークショップ企画展「Drawing」at The White
2016 TOKYO FRONTLINE PHOTO AWARD NEW VISIONS #03 at G/P gallery Shinonome
2017「Delirium」at The River Coffee&Gallery
2018「Monumentum」at The River Coffee&Gallery
Prize
2016 TOKYO FRONTLINE PHOTO AWARD ホンマタカシ賞
大山純平 (写真家)
私が歩きながら写真を撮っていると前方の集団の中の一人の女性が怯えた様子で斜め後ろへ退いていった。私がファインダーを覗くたびに彼女は後退していく。私がそのまま前進すると彼女は進行方向を変えて脇道へ入っていった。駅へ向かう坂道。老年男性が台車を押してゆっくり坂を下ってくる。台車には老年女性が膝をついて身をかがめ、取っ手の根元に両手でしがみついていた。彼女は目を瞑っていた。私が信号待ちをしていると、私の視線の先にあるアパートの入口付近の部屋のドアが開いて老年女性が出てきた。彼女は鼠色のスウェット上下を着ていた。彼女はごみの入ったビニール袋をドアの隣にあるメーターボックスの中に入れた。彼女は私の方を数秒だけ見てから部屋に戻った。中年男性が公園の水道から空になった緑茶のペットボトルに水を入れていた。水を入れ終わると彼は立ち去ったが、蛇口からは水が流れ続けていた。高架下に駐車中の粗大ごみ収集車のダッシュボードの中央に女性アイドルの写真が印刷されたクリアファイルが置いてあった。彼女はオレンジ色のニットを着て正面を向いて微笑んでいた。買ったばかりのナイロン製の膝下丈のレインコートを着て歩くと衣擦れの音がうるさかった。これを着て外へ出歩けない。帰り道に住宅の前を通りかかると男性の話し声が聞こえた。私が住宅を通り過ぎた後、男性は網戸を勢いよく開けて電話で話しながら道路に唾を吐き捨てた。電動車椅子を運転する男性がいた。その後ろにベビーカーが続く。幼児が足を投げ出して「電車が止まる」と言っていた。ベビーカーを押している両親は何も答えなかった。私が駅のホームへ向かう途中、向かってくる女性をよけるのが遅れてしまい、ぎりぎりですれ違った。その際、彼女の顔を確認すると、自分の進行方向以外は何も見ないという決意に満ちた脂ぎった顔だった。老人女性二人がすれ違うところを見た。一人がもう一人の顔を見て「今日は早いですね」と言ったが、言われた方は相手の顔を確認しただけで何も答えないまま速度を落とさずに歩き去った。椅子と座椅子をゴミ置き場に捨てた。“ホテルスタイルまくら”と書かれた段ボール箱が捨ててあった。“ひったくりに注意”と書かれた看板の下の縁石に座って缶ビールを飲む金髪の男性がいた。「お腹が減った」「ハンバーグ」「うどん」と言いながら歩く中年女性。私がシャッターボタンを押すのに合わせて両手を挙げて飛び上がって視界の右上に写り込もうとする男性がいた。彼は三回飛び上がり、私の視界からいなくなった。家族連れが電車に乗ってきて優先席一帯に座った。その中の男児はすぐに座席の上に立って窓から景色を見た。彼の周りを取り囲むように座る大人たちから一斉に「危ないから座りなさい」と言われていた。彼は座ると「何か臭い。おならかな?」と言った。風呂場で後頭部を剃刀で深めに切ってしまい流血した。風呂場でトイレットペーパーに血を染み込ませて、風呂場から出てティッシュペーパーで血を染み込ませた。鏡を二枚使って傷口を見ながら絆創膏を貼った。貼る際にも流血し続けていて、血まみれになった絆創膏を何枚も捨てた。雑誌から四角く切り抜かれた女性の顔が道路に落ちていた。一人の男性ランナーが走り抜けるのを信号待ちの人々が見ていた。ショートパンツから彼の白い脚が剥き出しになっていた。背の高い車が坂道の途中で道路の端に停車していて、運転席に女性が座っていた。彼女は何をするでもなく暗い車内から前方を見ていた。電話越しに「がんばります」と言う男性がいた。歩道に立って話し込む二人の女性。彼女らの子供たち三人が道幅いっぱいに広がって動き回っていた。その中の一人の男児がT字路に突然飛び出て通行人の男性の足に引っかかって転んだ。それについて誰も何も言わなかった。上と下でデザインの違うジャージを着た男性がいた。彼は左手を腰に当てながら足早に歩いてスーパーに入っていった。自販機と電柱の間から男性の頭部が見えた。頭頂部の髪が透けて頭皮が見えていた。彼はうつむいて煙草に火を点けていた。首輪をつけられた八百屋の猫が別の猫に代わっていた。この猫も首輪をつけられていた。以前の猫は写真になって額装されて店頭に飾られていた。私の前を女児とその母親が並んで歩いていた。急に母親が後ろを振り返って私の方を見た。彼女はすぐに前を向いて子供と一緒に自転車置き場へ入るときにもう一度振り返って私の方を見た。上の階の住人の声が聞こえた。「どうして?」「くやしい」「なんで?」一人の女性の声。ちょうどそのとき外を歩いていた二人組の女性がその声に反応して笑い合っている声が聞こえた。上の階の住人はもう一度「くやしい」と言った。私に向かって歩いてくる男性が痰を切る音を出した。彼は私とすれ違ったが彼から痰を吐き出す音は聞こえなかった。
プロフィール:
https://www.instagram.com/jumpei.oyama/
Gabor Arion Kudasz『 Human 』(2018, self-published)
杉山雄二 (写真家)
ハンガリーの写真家 Gabor Arion Kudasz は『Human』のなかで、ヨーロッパでの伝統的な建築材料である「レンガ」をメタファーとし、現代の東ヨーロッパでの社会の歪みを示しながら、人間の存在と世界の成り立ちの関係性を再定義する手掛かりを模索している。撮影は、おもに東ヨーロッパ(ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア)のレンガ工場で行われた。大判カメラで撮影された統一感のある白黒写真群は、ポートレイト、工場内の施設、すでに放棄されたように見える建築物などと続くなかで、「ねじれたレンガ」と「製造工場で働く労働者とレンガを並置させて撮影した」写真が特に印象に残る。
レンガは暑く乾燥した地域では、はるか昔から泥を乾かした日干しレンガが建築や土木材料として使われ始めたが、粘土や泥を焼成して風雨に長期間耐えられるようなものになったのは、意外に新しく紀元前3000年ごろと言われている。その規格はさまざまであるが、人間が建設現場で施工しやすいサイズへと改良されていき、それが建築のモジュールになり空間のスケールを規定している。そこには、人間が持つ技術により道具を使い、あるいは人間自身が道具となりモノが造られ、モノが流通システムにより運ばれ、そのモノによって空間が構築され、その空間により逆に人間自身の感覚が規定される「円環状の関係性」がある。クローズアップで手を強調した写真がある。いかにもレンガ製造工場の労働者らしい太く頑丈そうな指をした黒く汚れた手だ。一方で、オートメーション化され機械が人間に代わり働く工場内の写真がある。多くの工業製品と同様にレンガもまた現在では、ほとんどの製造工程がオートメーション化されているようだ。機械による効率化は同時に従事する労働者の減少と低賃金化をまねき、労働者は製造工程の「道具のほんの一部分」でしかないことが示唆されている。その意味では、上記の「円環状の関係性」はすでに崩れており「ねじれたレンガ」がそれを暗示している。
ストレートな風景写真が主体だったKudaszの過去のプロジェクトと比較すると、『Human』では意図的に演出されていたり、撮影後にデジタルで控えめな加工が施された写真が数多く見られるのは大きな変化だ。この点についてKudaszはインタビューの中で、ラリー・サルタン(Larry Sultan)とマイク・マンデル(Mike Mandel)により1977年に初版が発売された作品集『EVIDENCE』からの影響について語っている。建設会社、警察、研究所、医療機関、政府機関、NASA関連施設などのアーカイブからセレクトされた写真で構成されているこの写真集は、ファウンドフォトを使った作品としては先駆的で、多くのフォロワーを生んできた。(たとえば近年発表された作品の中では『DAVID FATHI / WOLFGANG(2016, Skinnerboox)』や『石野郁和 / ROWING A TETRAPOD(2017, Mack)』にその影響が強く感じられた)『Human』の中で、『EVIDENCE』的な演出を加えられた写真は、ただの実験記録のはずの写真が持っていた奇妙さや面白さという特徴を上手く流用し、遊び心が感じられる。
本のデザインは、表紙が布張りのハードカバーで写真集としてはオーソドックスな構成だが、表紙の布地と見返しの紙がレンガのような色となっていたり、表紙にレンガの図柄と本のタイトルがエンボス加工されていたり、さらに、本文の小口が黒く塗りつぶされていたりと、写真集自体が持つ物質性が注意深くデザインされている。また、レンガ色の布地が見えるように意図的に寸足らずにデザインされたダストカバーのおもて面には、この写真集を象徴するような4枚の写真が印刷され、裏面には数多くの(人間とは何かを探求するためにおこなっているようだが、そのパロディのようにも見える)実験や人体モデルが撮影されたアーカイブフォトと、自然の摂理を説明するための図形などが、それが人類の隠された(裏面の)歴史の一部であるかのように扱われ、黒地に白インクで印刷されている。
たとえばコンビニエンス・ストアをアナロジーとして、現代の日本における人間と社会の関係性について考察することは可能だろう。コンビニは全国の隅々に普及し、その店舗数の密度はその地域で活動する人口におおよそ比例するのではないだろうか(根拠となるデータを見たわけではなく地域差はあると思います)。そのコンビニを構成する商品の多くは人間ひとり向けにパッケージ化され、立地条件から商品構成が決定され、人件費や棚効率を考慮し店舗内の配置や床面積が決定されている。村田沙耶香『コンビニ人間』のなかで主人公は「無機質でマニュアル化されたコンビニの影響を受け、シンプルで合理性が追求された世界に完全に適合」した人物として描かれた。ここでは「人間が道具のように生きること」の意味が問いかけられているが、主人公の異常さを指摘する周囲の人間もまた、ほかのマニュアル(「普通であること」の社会的規範)に囚われており、結局人間は何かの枠組みの中でしか生きられないモノとして描かれている。しばらく前に、Amazonがシアトルでオープンさせた「レジに人がいない無人コンビニ」が話題になっていた。やがて、商品の企画から製造、流通、そして店舗内の運営・管理までの全てがAIとモノにより自律的に働く世界が実現するだろう。その世界では、人間は円環の外側からシステムを監視する存在でしかなくなる。その時、現在のような社会の枠組みと人間の関係性は変化せざるを得ないだろう。
人間の活動領域の大きさは、ほとんどの場合そのテクノロジーと直結している。月に到達できたのも、気軽に世界中を旅するようになったのもそうだ。インターネットの普及により確実に地球は(感覚的には)小さくなり、人間の意識は変容してきた。テクノロジーの発展によりモノがモノだけで自律的に働き関係しあう未来の社会の姿。それはバラ色の未来なのか? それともジェームズ・キャメロンが『ターミネーター』の中で描いたような悪夢なのか? (おそらく、そのどちらでもない普通の日常になっているのだろうが)その中で人間の存在はどのように変化していくのだろうか? ひとつのレンガから始まり、そのようなことまで考えさせられる多層的な意味と構造を持つ写真集ではないだろうか。
プロフィール:
1966年東京都生まれ。神奈川県在住。写真作家/写真集愛好家。
これまでの個展に「Firegraphy (2016, The White)」「Individual Projection (2018, The White)」がある。近年出版されたものを中心に、国内外を問わず写真集の情報を日常的に収集している。2015年から参加しているTokyo Art Book Fairでこれまで4冊の写真zineを販売。現在「Firegraphy」「LOST / FOUND」の2冊の写真集を製作中。この連載では比較的新しい写真集を中心に、個人的に所有していて、好きな、興味深いが理解が難しい、といったものを読み込み、その背景や関連性をリサーチした記録のようなものを書いていきます。
澤田育久 (写真家)
『reference』 澤田育久 (写真家)
ALTANATIVE SPACE The Whiteをオープンする一年前、私はこの場所をThe Gallery と名付けて、一年間毎月新作で展示をする実践の場として活用していました。私の作品”closed circuit”は、空間の中で自分の写真がどのように見えるのか、展示を繰り返すことで実験と検証を重ねながら形作ってきました。今でも私はThe Whiteを使って展示を行い、実験しながら作品を制作しています。
この連載ではThe Gallery - The White での展覧会を中心にの記録写真を織り交ぜながら自分の展示を振り返り、検証を試みたいと思います。
closed circuit, monthly vol04 - vol.05
Vol.4では、これまでやって来たことを確認する為に展示の方法はVol.3を踏襲しました。但し、写真の配置は入り口から部屋全体が見通せないように、部屋の奥に向かって互い違いになるように配置しました。写されているイメージは具体的なもの(パイプや鎖など)と壁面などの平面的なものを混在させています。具体的な対象を大きくプリントすると、もののサイズが実物大のように見えて、サイズや遠近にズレが生じてくるように感じました。また、写真に写っている要素が減ってくるに従って、写真を見るときに対象の質感にもより意識が向くようになり、それまでは無意識的に取り込んでいたことに対しても、より自覚的に写真の要素として取り込んでいくようになりました。対象のものを見ているのか、空間なのか、線と面の構成なのか、質感なのかなど、展示された写真を客観的に見ることで自分の写真により意識的になることは、作品に客観性を担保するというこの連続展に課した重要な役割の一つです。
現在では縦位置のみ撮影していますが、この頃はまだ縦位置と横位置を並行して撮影していました。殆どの場合、横位置で撮影すると広告や案内版など余分な情報が入ってしまう為、縦位置で撮影することが多かったのですが、対象によっては横位置も撮影して8×10のロール状のプリントでは縦横混雑させてプリントしていました。そこでVol.5では初めての試みとして横位置のイメージだけでロールプリントを構成しました。高さを縦位置と合わせたためイメージは一回り大きく出力しました。この後も継続して横位置は撮影していますが、縦写真と横写真の扱いはこの頃から意識するようになりました。
また、前回までは写真の下端に黒いクリップをウェイト代わりに使用していたのですが、写真を空間に配置するための仕掛けをワイヤーとクロームのクリップに変更したので、下端のクリップの存在感が気になりだし、この回からメッキ加工した鉄板を磁石を用いて取り付ける仕様に変更し、よりプリントに集中できるようにしました。
プロフィール:
写真家。1970年東京生まれ。金村修ワークショップ参加。2012~2013年「The Gallery」、2014年よりオルタナティブ・スペース「The White」をそれぞれ主宰。2011年に個展「closed circuit」(TOKI Art Space,東京)、2012年11月より2013年10月まで、1年間にわたり毎月新作による連続展「closed circuit, monthly vol.1-vol12」(The Gallery,東京)を開くなど、展覧会多数。2017年、光田ゆり企画によるαM2017『鏡と穴-彫刻と写真の界面』vol.2として個展を開催した。2017年に自身のレーベル”The White”より写真集「closed circuit」。2018年にRondadeより「substance」刊行。
https://sawadaikuhisa.com