ALTERNATIVE SPACE The White

Exhibition 展覧会情報

タカザワ ケンジ「Osamu Kanemura's New Work?」

企画展

タカザワ ケンジ「Osamu Kanemura's New Work?」

2016年01月12日 〜2016年01月23日

13:00〜19:00 日・月曜 休み

Events

タイトル: 「写真とアプロプリエーション(盗用芸術)」
内容: 今回の展覧会にちなみ、写真を使ったアプロプリエーションについて論じる。ウォーカー・エヴァンスの名作写真を複写したシェリー・レヴィーンの「ウォーカー・エヴァンスにならって」(1981年)はなぜ評価されたのか。つい最近もリチャード・プリンスがインスタグラムの投稿を「作品」にしたことに賛否両論が起こるなど、現代でも引用、盗用はしばしば議論の対象となる。とくに写真は精確な複製が可能なため、アプロプリエーションとは関係が深い。写真による引用、盗用が「作品」となる要件とは?
日時: 2016年1月16日・23日(土)19:00~20:30
受講料: 1,000円
定員: 20名
要予約: mail@sawadaikuhisa.com

Statement

 写真はどこまで見れば「見た」と言えるのだろうか。
 四角いフレームを一瞥すれば「見た」と言えるのか、細部まで舐めるように見て初めて「見た」と言えるのか、あるいは、見たものを脳で解釈し、言葉にして初めてようやく「見た」ことになるのか。
 写真と写真作品について書いたり、話したりするうえで、つねにつきまとうのが上記の問いである。それどころか、写真を見れば見るほど、その疑念は大きくなる。作者の意図するところをまったく見ていない(記憶に残っていない)こともあるし、同じ写真を見ても人によって見ている部分が違ったりする。印象や解釈が異なるのは仕方ないにしても、「見る」というのは明瞭な行為だと思っていただけに、その困難さは意外だった。実際、私たちはしばしば見ているようで見ていない。
 昨年、このThe Whiteで開催した写真展「CARDBOARD CITY」では、その場にいた時には意識していなかったモノやコトを写真のなかに発見したことから、その内容を検討しようと考えた。写真は撮影時に意識していないものまでを写してくれる。これは写真のポジティブな要素だと思う。
 しかし、今回の展示では、写真にしてもなおつきまとう「見る」ことの難しさからスタートしている。写真は現実よりも平板で大きさが限られているため、容易に全体像を把握できるように思いがちだ。一瞬で写真を「見た」と感じてしまうのである。それが写真の持つイリュージョンであり、実際に「見る」ことが難しいことは述べてきた通りである。
 そこで、今回は写真家の作品を「見る」ことの実践として展示を構成した。  対象はタイトルにもうたっている通り、写真家・金村修の作品である。
 金村修は1964年生まれ。東京綜合写真専門学校在学中にロッテルダム・ビエンナーレに招待され、その後もニューヨーク近代美術館の「New Photography」展、アルル国際写真祭に招待されるなど、国際的な評価が高く、国内でも土門拳賞、伊奈信男賞などの写真賞を受賞している。同時代の傑出した写真家の一人である金村の作品を、写真機を使って「見る」ことが今回のテーマである。
 展示構成は、オルタナティヴ・スペースThe Whiteで開かれた金村修「 System Crash for Hi-Fi 」展(2015年6月23日~7月4日)の複写と、金村修の写真集および、金村作品と関連性のある写真集の複写で構成する。展示作品の複写は写真のディテール、すなわち、写真家の無意識を「見る」ことを目的に、写真集の複写は、写真集という文脈に落とし込まれた金村の写真を観察するために、それぞれ撮影した。
 プリントのディテールと印刷物の全体。両極端ともいえるこの二つの「写真」を「見る」から、金村作品の何が見えてくるのだろうか。

Profile

1968年前橋市生まれ。早稲田大学第一文学部卒。写真評論、写真家インタビューを雑誌に寄稿。『Study of PHOTO 名作が生まれるとき』(ビー・エヌ・エヌ新社)日本語版監修。渡辺兼人写真集『既視の街』(東京綜合写真専門学校+AG GALLERY)の編集と解説ほか、写真集制作にも携わる。写真についてのリサーチの一環として写真展、ZINE制作も行う。写真展に「CARDBOARD CITY」(The White、2014)ほか。東京造形大学非常勤講師。